2025年12月22日 月曜日
パーソナリティ: 加藤諦三
回答者: 森田豊(医師)

こんにちは、悟(さとる)です。
本日はテレフォン人生相談から、脳梗塞の再発を機に周囲への恨みを募らせてしまった母親への接し方に悩む女性からのご相談です。
長年連れ添った親が、病を境に別人のように攻撃的になったり、絶望を口にしたりする姿を目の当たりにするのは、子として身を切られるような思いがするものです。
良かれと思って選んだ施設を否定され、自分たちの努力が報われない虚しさに立ち尽くす家族は少なくありません。
今回は、そんな閉塞感の中にいる方々へ向けた、心穏やかな終末期の在り方を探る対話となっています。
■繰り返される病魔と変わり果てた母の姿
相談を寄せたのは62歳の女性です。
実家には92歳になる高齢の父親と、88歳の母親が暮らしていました。
平穏だった日常が暗転したのは昨年のことでした。
母親が脳梗塞で倒れ、救急搬送されたのです。
急性期病院での治療を終えた後、母親はリハビリ専門の病院へ転院しました。
そこでの半年間、母親は懸命にリハビリに励み、不自由になった右手が少しずつ動くようになるまで回復を見せました。
しかし、母親の体は限界を迎えていました。
脳梗塞以外にも、心筋梗塞や脊柱管狭窄症、重度の動脈硬化を患っており、足腰には常に激しい痛みが走っていたのです。
92歳の父親もまた高齢で衰えが目立ち、自宅で母親を介護し続けることは現実的に不可能でした。
相談者やその妹もすでに家庭を持っており、実家に帰って介護を担うわけにはいきません。
家族は苦渋の決断として、リハビリ病院の後に老人保健施設への入所を選択しました。
母親にとって、その施設での生活は苦痛に満ちたものでした。
施設では食事のたびに車椅子に乗って食堂へ移動しなければなりませんが、脊柱管狭窄症を抱える体にとって、車椅子に座る姿勢そのものが耐え難い痛みをもたらしたのです。
病室のベッドで食事ができた病院時代とは違い、集団生活のルールに縛られることが、心身ともに母親を追い詰めていきました。
そんな折、無情にも二度目の脳梗塞が母親を襲います。
■怒りに変装した深い悲しみと絶望の正体
再発によって再び入院を余儀なくされた母親は、以前よりも言葉が出にくくなり、体も動かなくなってしまいました。
それと同時に、母親の心には激しい「恨み」の感情が芽生えます。
入所していた施設や職員に対して「あそこに行ったから再発した」「あそこに無理やり入れられた」と呪詛のような言葉を吐き、毎日泣きながら死を口にするようになったのです。
優しかった母親の性格が一変し、周囲を攻撃する姿を見て、相談者は困惑し、深い悲しみに包まれました。
この状況に対し、パーソナリティの加藤諦三さんは、母親の怒りは「変装した悩み」であると指摘します。
本当の悩みは、自分の思い通りにならない体への情けなさや、刻一刻と迫る死への恐怖ですが、それらを直視することはあまりに苦しいため、外部に敵を作って「恨み」という形で発散しているというのです。
しつこく繰り返される恨み言は、それだけ母親の心の痛みが深いことを物語っています。

回答者の森田豊先生は、医師の立場から冷静な分析を加えました。
脳梗塞という病気そのものが、感情を制御する脳の機能を損なわせ、性格を変えてしまうことがあるのだと説明します。
お母さんの今の姿は、本人の意思というよりも病気が言わせている部分が大きいという視点を持つことが、家族が自分たちを責めないための第一歩となります。
病による感情の変化を医学的な現象として理解することが冷静な対応を可能にします。
■痛みに寄り添う共感とこれからの選択
森田豊先生は、身体的な苦痛についても改めて言及しました。
脊柱管狭窄症を患う人にとって、硬い車椅子に座り続けることがどれほどの地獄であったか、その痛みを想像してあげてほしいと語ります。
母親が施設を恨むのは、単なるわがままではなく、実際にその場所で激痛に耐えなければならなかったという実体験に基づいています。
そのため「そんなこと言わないで」と否定するのではなく、「本当に痛かったんだね」と、その苦しみを丸ごと受け止める姿勢が求められます。
具体的な今後の対応として、加藤諦三さんは「お母さんの味方になること」の重要性を説きました。
施設への恨み言が始まったら、一緒になって「あそこは良くなかったね」と同意し、母親の溜まった膿を出し切らせてあげるのです。
正論で説得しようとすれば、母親は「誰も私の苦しみを分かってくれない」と、さらに孤独を深めてしまいます。
家族が唯一の理解者であると確信できたとき、母親の心にようやく小さな安らぎが訪れるはずです。
また、現実的なケアの面では、ケアマネジャーと連携して、現在の痛みに配慮したプランを再構築することが提案されました。
痛みを最小限に抑える環境を整える努力を家族が共に行うことで、母親は「自分は見捨てられていない」と感じることができます。
家族が専門家と協力し環境を整える姿勢を示すことが本人の安心感に繋がります。
■まとめ
今回の相談を通じて浮き彫りになったのは、老いと病が人間から尊厳を奪おうとするとき、家族がいかにしてその尊厳を守り抜くかというテーマでした。
介護は、物理的な世話だけでなく、相手の理不尽な感情を受け止めるという過酷な精神労働を伴います。
しかし、お母さんの怒りの奥にある「助けてほしい」という悲鳴に耳を傾けることができたなら、接し方は自ずと変わってくるのかもしれません。
人生の最終章において、誰もが心穏やかでありたいと願います。
けれど、現実には病や痛みがそれを阻むことがあります。
そんなとき、家族ができる最善のことは、無理に前向きにさせることではなく、ただその苦しみに隣り合わせ、共に絶望を眺めることなのかもしれません。
恨みや怒りもまた、精一杯生きようとする命の最後の抵抗なのだと、私、悟は感じました。
今回の対話が、同じように介護の荒波の中にいる方々にとって、一筋の光となれば幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
人は誰かの悩みや言葉に触れたとき、ふと自分の心が揺れていることに気づくことがあります。
その小さな揺れは、これからの自分を整える大切な“サイン”なのかもしれません。
もし今、胸の奥にそっと抱えている思いがあり、「どこかに話してみようかな」と感じている方がいらっしゃれば、いくつかの相談先をここに置いておきます。
どれが正しいということはありません。
今のあなたに合う形を、静かに選んでいただければ十分です。
◆ テレフォン人生相談に相談してみたい方へ
寄り添って話を聴いてもらいたいとき、人生経験の深い回答者の言葉に触れたいとき──
テレフォン人生相談は、長い歴史の中で多くの方の迷いを受け止めてきた相談先です。
番組という特性上、相談内容が“広く届けられる形”になることもありますが、その分だけ、そこで得られる言葉には力があります。
◆ 誰にも知られず、心を預けられる相談先を探しているあなたへ
テレフォン人生相談のように、限られた時間の中で専門家の言葉を受け取る形が合う方もいれば、
「相談したこと自体が、どこかに伝わってしまうかもしれない」
その不安が先に立って、踏み出せない方もいらっしゃるかもしれません。
このブログでは、そうした気持ちを抱えたままでも選べる、誰にも知られず、心の内をそっと預けられる相談先もまとめています。
無理に利用する必要はありません。
ただ、自分に合う距離感の相談先が他にもあるということを、必要になったときに思い出していただければ十分です。
▶︎ 誰にも知られず、心を預けられる相談先を探しているあなたへ
◆ 言葉にしきれない思いを、静かに整理したいときに
誰かに直接相談するほどではないけれど、頭の中や胸の奥に、まだ整理しきれていない思いが残っている──そんなときもあるかもしれません。
「何が不安なのか」「どこで引っかかっているのか」それをはっきりさせるだけで、気持ちが少し落ち着くこともあります。
最近は、名前を明かさず、顔も出さず、今の状況や気持ちを言葉にするだけで、第三者の視点を受け取れるサービスもあります。
答えを決めてもらうためではなく、自分の気持ちを整理する“きっかけ”として、こうした選択肢があることも、そっと置いておきます。
どの道を選んだとしても、それは “自分を大切にした証” だと思います。
またゆっくりとお会いできますように。
──悟(さとる)


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